見えないものと、見えるものの話
昨日は迷いながらも、相談を受けた内容を
シェアさせていただきました。
現在、能登半島での活動を行っています。
東日本大震災での経験と学び、そして現在のリアルを伝えることは、能登地方の皆様のこれからにとって大きな意義があると思うからです。
私自身、3.11後の活動の中で不思議な体験をいくつかしてきました。
しかし、「不思議だな」と感じるだけで、「怖い」と感じた事はありませんでした。
「恐山」に代表されるような、東北特有の死生観のせいでしょうか?
「死」は忌み嫌われ、隠されるべきものではなく、いつも「生と隣り合わせにあるもの」・・・とでも表現されるような、自然信仰(アニミズム)の文化が色濃く残っているからでしょうか?
・・・それが変わってきた、と感じるようになったのは、震災後6〜7年経った頃だったような気がします。
私自身は、霊感は決して強くない方なのですが昨日も書いた通り、共に活動するメンバーには
この分野にめっぽう強いのがいます。
・・・彼女はこう表現します。
それは「念」だと。
「震災とは直接関係ない、古くからのものも含めて、念の渦のようなものになっている」と。
新しい建物が並び、きれいに整備された道路・・・復興は進み、震災当時の面影はどこにもありません。しかし、人口が減ったため人影はまばらで、空き地の砂利の隙間からは雑草が生えています。
目に見えやすい形の復興により風景が変わったことで、見えない大切な何かが変わったのかもしれません。
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